20の天守が、12になるまで
城づくりは関ヶ原の戦い(1600年)の前後にもっとも盛んになり、各地に城の象徴として天守が建てられました。その数を大きく減らしたのが、1615年の一国一城令、1873年の廃城令、そして1945年の空襲です。
空襲の前に残っていた20の天守のうち、名古屋城・岡山城・和歌山城・大垣城・水戸城・広島城・福山城の7つが1945年に失われました(広島城は空襲ではなく、原爆の爆風で倒れています)。1949年には松前城の天守も火事で焼けました。残ったのが、この一覧の12です。
天守がいつ建ったかは、いまも調べ続けられています。
残った天守も、ずっと同じ姿で立ち続けてきたわけではありません。丸岡城の天守は1948年の福井地震で倒れ、もとの部材を組み直して1955年に建て直されました。松江城では明治8年(1875年)に御殿や櫓が払い下げられ、城の建物で残ったのは天守だけです。その天守が慶長16年(1611年)に出来上がったことは、行方の分からなかった2枚の祈祷札があらためて見つかり、確かめられています。天守は2015年、この祈祷札とともに国宝に指定されています。
天守がいつ建ったかは、資料によって答えが違うことがあります。松本城の天守は、文化庁のデータベースの中でも、年代の欄は元和の初め(1615年ごろ)、解説は1594〜99年の造営と、2つの見方が並んでいます。松本市は1593〜94年に建てられた可能性が高いとし、年輪年代法による測定などでさらに調べる試みも進めています。
12の天守は、大きさも立つ場所もさまざまです。外から見て5重の姫路城と松本城もあれば、2重2階の備中松山城もあります。一覧は日本100名城の番号の順に並べ、地方ごとに区切りました。
表の見方
- 重と階
- 「重」は外から見た屋根の重なり、「階」は中の床の数。文化庁の記録の数え方です
- 平山城
- ひらやまじろ。平地に面した丘に築いた城
- 平城
- ひらじろ。平地に築いた城
- 山城
- やまじろ。山の上に築いた城。3つの区別は、はっきり線を引けるものではありません












