足柄・箱根の坂より東の、33の観音
坂東は、足柄山や箱根の坂より東の一帯をさした古い呼び名です。源平の戦いが終わると、敵味方を分けない供養や、平和が長く続くことを願う祈りが盛んになりました。観音を深く信仰した源頼朝の思いに、西国で三十三所の霊場を見てきた武士たちの思いが重なり、鎌倉時代の初めに坂東の33か所が定められたと伝わります。札所は、相模・武蔵から安房まで、関東の八か国にわたります。
たしかな記録としては、1234年(天福2年)、三十三か所を巡っていた僧が常陸の八溝山(いまの第21番 日輪寺)の観音堂に300日こもり、観音像を刻んだことが伝わっています。室町時代の巡礼札も足利の鑁阿寺に残っていて、関東に住む人々が名前を書き入れて巡礼に出たことがわかります。やがて西国・秩父とあわせて百観音を巡る人も現れました。
札所の番付は、定められてから一つも変わっていないといわれます。
番号の順に回らなくてもよい
番号どおりに回ると道が行きつ戻りつする並びで、江戸時代の十返舎一九も、坂東の札所は入り組んでいて順には回りにくいと書いています。江戸から出かける人向けの道中記には、浅草寺(第13番)、弘明寺(第14番)、杉本寺(第1番)の順に参るよう記したものもありました。いまも順番は自由で、霊場会は、近くの札所をいくつか組み合わせた日帰りや1〜2泊の旅を何回か重ねる回り方をすすめています。
一覧は番号順のまま、札所のある旧国(相模・武蔵・上野・下野・常陸・下総・上総・安房)で区切っています。番号は鎌倉から、関東をおおむね時計回りにひと回りします。
始まりと終わりのことば
- 発願
- 願いを起こして巡礼を始め、一つめの札所に参ること
- 結願
- 最後の札所に参り、33か所を参り終えること
- 打ち納め
- 巡礼の最後に参る札所。坂東の番付では第33番の那古寺
- お礼参り
- 百観音を巡り終えたあと、長野の善光寺や上田の北向観音に参る習わし。霊場会は、参らなくても満願に変わりはないとしています

































